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お客とお店は対等ですが何か?

お店とお客さんは対等であるということを忘れていませんか、という話。
まず、日本人がよく言う外国旅行での文句の話をしてから本題に入ろうと思う。
では前置きの文句の話。
日本人が言う外国の文句でよく聞くものにこういうのがある。
「店員の愛想が悪い」
何のお店でもこのテの話を聞くのだけど、このブログ的にはお店はカフェということにしようか。
「カフェの店員の愛想が悪い」
さて、店員とお客はどういう関係だろうか。
・店員はお客にお金と引き換えにコーヒーを渡す。
・お客は店員にコーヒーと引き換えにお金を渡す。
この取引をそれぞれの立場で見てみよう。
まずはお客側に立って考えてみる。
「コーヒー1杯5ドルか。4ドル50セントって言うと400円くらいだな。日本と変わらない値段だな。えーっと、これひとつって指させばわかるか。紙幣?どれだ、1ドルを5枚、札で払うと高いように思うな。なんだよ無愛想な店員だな。これだよ。そう、それだよ。なんか言えよ。確認もしないのかよ。おつり渡すときくらいニコニコしろよ。おつり渡すのがいやなんじゃないのか?コーヒーできた?これ?指さしてないでなんか言えよ。これが4ドル50のコーヒーか。はいどうもどうも。ってありがとうございました的ななんかないのかよ。最後まで無愛想なやつだな。これで接客業とはあきれるな・・・」
では次に店員側に立って考えてみよう。
「来た。アジアン。どこの国だろう。Helloくらい言えよ。なんだよ指さしやがった。コーヒーくらい言えよ。しょうがないこっちも身振り手振りでいくか。これね。はいこれ。これおつりと。はいできた。これどうぞ。そうこれがあなたのだよ。持ってった。結局何もしゃべらなかったなあいつは・・・」
とまあこんな感じなんだろう。
それで「外国は店員の愛想が悪い」だの「接客業なのにニコっともしない」だの「おつり投げやがって」だの言うわけだ。
この話の是非を問うのが記事の目的ではないので、この話に対する僕の見解を書いておしまいにする。
「あなたがとても感じがよければ、相手も感じがよくなるものです。なぜなら取引は対等だからです。そしてあなたがもし「お店が提供したいもの」を理解できなければその取引は対等ではなくなってしまい、いつも同じようなクレームを言うハメになるでしょう。ただし、何事にも例外はありますが」
さて、お店とお客は対等である。
なぜなら、提供する商品に対する対価(お金)は、等価だからである。
A店ではスペシャルティコーヒーを、高級な磁器で、大変心地よい店内でゆっくりとくつろいで静かに楽しめる。
B店ではスペシャルティコーヒーを、紙コップに入れて提供し、持ち帰るのもできるし店内でも気軽に楽しめる。
※どちらの店もスペシャルティコーヒー豆を使用しているのはこのブログの仕様です
さて、どちらも同じ一杯500円だとして、その対価はコーヒーだけに支払われているのだろうか。
どちらに行くにしろ、コーヒーだけにお金を払っているわけではなかろう。コーヒー代を払うということは、その体験そのものを購入するということだからだ。(もちろんコーヒーに限った話ではない)
この話をお店がわから見てみよう。
コーヒーを販売するということは、500円分の体験を販売するということである。まったく裏返しの関係だ。この意味で、お店とお客は対等なのである。
お客には500円の「うちわけ」はわからない。普通は原材料費とサービスにお金を払っている、という認識ではなかろうか。その割合も「なんとなくこんくらい」という感じだ。
お店からすると、500円を払うお客さんの気持ちはわからない。500円でとりあえず15分ほど時間がつぶせれば飲み物はなんでもいいのか、その豆を飲みたくて来たのか、ホスピタリティを求めて癒されに来たのか。
「サービスはいいけどマズい」
「おいしいけど店員が無愛想」
それが500円なのである。
「おいしくて、サービス満点」
これは1000円かもしれない。これを500円でちょうだい、というのは無理がある。
冒頭の話とどうつながるのか、というと、たとえば「店員の愛想が悪い」と評している人が行った店で支払った4ドル50セントの「うちわけ」には「いかなる場合でも最高の愛想」という項目が無いのである。無いものはもらえない。しかしあなたがもし4ドル50セントに「いかなる場合でも最高の愛想」も含まれていると間違った理解をしていた場合、どうしたって文句が出てしまうのである。
(日本では、500円に「いかなる場合でも最高の愛想」というのが含まれている場合が多い。だから外国に行くと「無愛想だ」という文句を言う人が多いのだろうけど、なんで世界中が日本のスタンダードに合わせてあると思うのだろうか。国によって違う、あるいは同じ国でも場所によって違うと思うのが普通だろう)
では、外国の店員は常に無愛想なのかというとそうではない。愛想が良いときもある。「いかなる場合も最低の愛想」と職場規則に書いてあるわけではないのだから、愛想がいいときというのがある。それはどういうときなのかというと、ずばり「お客さんの愛想がいいとき」である。
※もちろん店員の身内の不幸だったり、その日にサイフを落としたり、恋人にふられたりと店員にも事情により愛想がどうしてもよくなれないときもあるが、それは例外というものだ。
あなたがもしとても好感の持てる客だった場合、そりゃ店員だって好感の持てる対応をするに違いない。というかそれが普通の買い物だ。そもそも店員にこんにちはと言わない客というのは日本人のほうが圧倒的に多い。
そもそも4ドル50セントのなかに含まれていない「愛想」なのだから、それをタダでくれというのはおかしい。こちらも4ドル50セントのほかに店に(この場合店員に)愛想を「支払う」から、その対価として店員も愛想を「提供する」と考えるのが自然だ。
そしてその店が提供するものを読み違えてはならない。
「あそこは騒々しくてゆっくりコーヒーも飲めやしない」
ホスピタリティを求めてカフェに行くというのに、騒々しいファストフードに行く人はいないだろう。そりゃスターバックスのソファーの上に座るほうがよほどくつろげるに違いない。
「メニューが少なくて困った。本当は違うのが飲みたかったのに」
スペシャルティコーヒーをシングルオリジンでプレスで提供します、という店に入ってホイップされたキャラメル味のクリームが乗ったアイスドリンクが欲しいと言っても、そんなメニューがあるわけがない。
日本だろうが外国だろうが、お客さんは神様ですってわけではない。お客さんと言えども満足のいくサービスを提供してもらいたかったら、少なくともお客も受身じゃなくて自分が欲しいサービスを受けられるだろうかとお店を知ろうとする努力が必要だし、良いお客だと思われる程度にはちゃんとした態度を取らなきゃダメだよってことで。


Published in 雑記

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