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僕は、プロフェッショナルとして世に名前を残せるようなタイプじゃない

まったく、コーヒーに関係無い話です。カフェ開業については多少関係あるかな(無理やり)。
8月初旬のことだが、twitterで某けーたろ氏と「僕は帰納的な考え方をする」という話をしていた。
(twilogって便利だなあ。過去の自分のツイートをキーワード検索できるんだ)
さて、僕は帰納的な考え方をすると昔から薄々気がついてはいたのだが、それについて深く考えたことは無かった。そういう対立する考え方に人間のタイプを当てはめたら、自分はどっち、あの人はどっち、君はどっち、など思考実験するくらいのもんで、それがどうしたってなもんだ。
ところが世の中面白い人がいるもので、そんなことを深~く考察したりして、更に面白おかしくわかりやすくブログの記事にしてくれているじゃないですか。どこのどなたかわかりませんがありがとうございます。
で、一読してすぐ「これはまさに僕のことだ」と思い、こちらもブログを書き始めたわけである。
この記事は相当長くなるので、結論だけここに書いておきます。結論を読んでも更に進みたい方だけ、詠み進めてください。
結論:残念ながら僕は、プロフェッショナルとして世に名前を残せるようなタイプじゃない。本当に残念だけどね。
じゃあねー

* * *

以下、元の記事を引用しながら、何で僕がプロフェッショナルとして成功できないかを検証していこう。
まず、導入の一行である。これが秀逸だ。

「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる」ことを得意とするタイプの人がいる。

あはは、僕だ僕w ここで重要なのは、成果がそこそこだってこと。決して最高の成果を出すわけじゃないんだなこれが。そして極めて短時間である。ほかの人には魔法のように思えるだろう。自慢めいて聞こえることを承知で書くが、僕自身、そう思われているなと思うことがしばしばある。
まず彼らは目的からスタートする。ひとたび目標を設定すると、それに向かって誘導ミサイルのごとく突撃する。

ゴールを設定して、それをこなすことに快感を感じるという性格である。それもできるだけ少ないコストで行いたい、と考える。いわゆるひらめき型のパズルが好きだ。ワインのボトルがあるが栓抜きは無い、ここは森の中、さてどうすればワインが飲めるか?という設問は好きだ。ワインを飲むというゴールに向かってあらゆる手段をもって突撃すればいい。しかし、いわゆる三段論法が苦手だ。てことは名探偵にはなれない?
また彼らは往々にして、多才で人脈が広い。いくつもの世界に所属し、何足わらじを履いているのかわからない。

あちこちに顔を出すのが好きですw そしてそのあちこちというのは相関が無さそうに見えることもしばしば。
いくつもの世界を渡り歩く彼らは、ほぼ例外なく、浸食不可能な固有の世界を持っている。そうでなければ多種多様な世界を渡り歩くうちにそのうちの一つにトラップされ、「この世界こそ俺の生きる道」と断言しそこに骨を埋めてしまうに違いないからだ。
どんな価値観をぶつけられようとも揺るがないのは、自身の世界をフィルターとして各世界を眺め、それぞれの世界の限界をなんとなく理解してしまうからだ。

最後の「なんとなく理解してしまう」、これがまさに言いえて妙である。ちゃんとは理解しないのだ。イチから十まできちんと把握して考え抜いて理解する、なんてことはほとんど無いと言っていいだろう。自分の頭の引き出しから似たような事例を探して組み合わせて、これを「理解したと言っていいレベルにする」ことが上手いのだ。つまりなんとなくなわけ。ほかの人にしてみれば理解していると思える程度にしゃべるし、知ってるし、わかってる。本人も理解したつもりになってる。でもそれはつもりなだけで、そういうレベルに近似しているというだけだ。
彼らは、コツコツと同じテーマに取り組み、その結果としてブレイクスルーを起こす遅咲きタイプではない。
「この短期間でここまでできるのなら、もっと時間を与えてやればさらにすばらしい成果を出すに違いない」と思ったら大間違いである。

笑えないw まさにその通りであり、泣き所である。アウトプットを定量化したときの曲線を引いてみると、最初は恐ろしいほど急勾配で上がるのだが、後半は伸びがゆるやかになり、ある程度まで進むと一定のラインで頭打ちになってしまう。僕がこれまでやってきたことを振り返ると、そういう曲線をたどることが多かった。
つまり、能力を最大限に発揮できるのは、物事の取り組み始めからしばらくの間だけ、ってことだ。最初に小さな成功をおさめたからと言って、同じことを続けていても大成功をおさめるなんてことは無いわけだ。残念だねえ。残念だけど仕方ない。そういうタイプなんだ。
そして、そんな僕のトリセツが書いてある。(僕のトリセツではないが、ここまで言い当てられると、もはや彼のこのエントリは僕宛に書いたのではないかと思ってしまうので、もう僕のトリセツでいいでしょうw)
そこで彼らをうまく使うには、まず何より、目的を与えてやることが最重要事項となる。
また、彼らは全貌の見えない仕事がルーチンワークと同じくらい嫌いである。
そして、彼らを一つの場所に留めておかないことも重要だ。

もはや、彼(元の記事の作者)は僕の知り合いではないのか、それもよっぽど親しい間柄なのではないかと思うほどだw
まず、目的が無いことをやるのがキライだ。目的が決まるまでうだうだとしてしまう。これをやる、と自分ではっきりとした目標を立てない限り、やらないか、やっても手を抜いてしまう。目的を達成するためにはどうすればいいか、というところから戦いは始まっている。手段、材料、知識、技術、あらゆるものを総動員して、いかに合理的に、短時間で、コストをかけずに目的を達するかというところに向けて脳細胞をフル稼働させるのだ。
また、全貌の見えない仕事がキライである。(引用の通り、ルーチンワークも大嫌いである)
好きな言葉に「物事と言うのは何事も段取りが大事だ」というのがある。段取りをするということは、自分がすべてを把握している必要がある。つまり、そのイチから十までを見渡していなければならないのだ。だからこそ、不慮の事態に陥ってもすぐに手が打てるし、あらゆる部分にオリジナリティのある(しかもエレガントで省コストな!)解決方法を提示することができる。
さらに、そのルーチンのプロフェッショナルになりたいわけではないので、同じ顔ぶれで同じ仕事を定型的にこなすというのがたいへんに苦手である。
自分の引き出しに常に新しい経験や知識、人脈などを入れていかないと不安になってしまう。僕は常に「おいしいやり方」を求めている。おいしいとはつまるところシンプルでエレガントで手がかからずお金もかからない方法である。最高なのはお膳立てしたら何もせずに結果が出るようなシステムである。それには従来の方法をリファインするだけではダメだ。従来の方法のいいところは残して悪いところは根こそぎすげ替える方がいい。あるいは良いところだってほかにもっと良い方法があれば捨ててしまってもいいと思う。それはつまり、世の中のさまざまなことにアンテナを張って、それらのエッセンスを常に吸収し続けるということだ。マグロ(だっけか)は泳ぎ続けないと死ぬらしい。僕も同じようなもんだ。知ること、それも幅広く、そのエッセンスを知ること(そしてそれらを動員して別の機会に目的を達成すること)で生きている。
短時間に能力を発揮するスプリンターである彼らは、いわば「おいしいところ」だけを使って成果を出すため、逆に見れば泥にまみれてものごとをイチから経験していくスキルに欠けている。泥にまみれるスキルに欠けた人間は、いつも綺麗な上澄みだけを掬って、わかったように物事を語り、そして行う。

ええその通りですw わかったように物事を語ります。そして行います。そしてどうなるかというと、本当の本物のプロフェッショナルからしっぺ返しを食らうわけだ。悲しいかな、わかったようなレベルとわかっているレベルの間には越えられない壁がある。その壁はどうやれば超えられるかと言うと、そもそも僕がこういうタイプであるのをヤメなければならない。相反するタイプに鞍替えしなきゃならないのだ。しかしそれは無理。ってことは、その壁はどうやっても越えられないんだな。
そしてこのエントリの最後はこう締めくくってある。
あこがれつつも、プロフェッショナルとの間に超えられない壁があることもわかっているのが彼らという人間である。プロフェッショナルを横目に、多様な世界で「そこそこの成果」を残し、たまに「革新的な異分野融合」を成し遂げながら、生きて行く。
そうしてたくさんの世界に足跡を残しながらも、本人は永遠に「これでいい」と満足することなく、いつのまにか消えていくのである。

悲しいかな、当たっている。僕って、そんなタイプだろう。自分でもそう思う。
どうやら、偉人伝に書かれそうなタイプではない。尊敬を集めるタイプでもない。どちらかというと胡散臭い山師のように思われるタイプのようだ。無いものねだりは重々承知で言うが、どう考えてもプロフェッショナルなタイプのほうがかっこいい。そっちのほうが良かった(がタイプなんだから仕方ない)。
僕は何をすべきなんだろう?何ができるんだろう?
そう思いながら毎日をもがいている。きっと、僕だって満足できる何か残して死ねるはずだという何の保証も無い希望を抱きながら。
元の記事はこちら
ミームの死骸を待ちながら


Published in 雑記

2 Comments

  1. 僕も間違いなくこのタイプです!
    転勤が多いのと、短期・単発のプロジェクトやらされる(そこそこ成果出しちゃうから)ことが多いんで会社辞めずにすんでますけど、「一度それなりに満足したら、分かったような気になって飽きて次へ行く」という性癖は、たぶん死ぬまで治りません。
    (きっと、小さい頃にレゴをやりすぎたんですね・・・)
    ちなみに、ISO 9000と、それを作ったヨーロッパ人が嫌いです!
    それにしても著者の方、「ミーム」なんていうから、私と同じ宇宙世紀&超時空世代かと思ったら、’86年生まれなんですね。

  2. ホゼ ホゼ

    さんきちさんこんばんは!(今、夜ですw)
    お仲間ですねえw これ、努力して矯正できるようなもんでは無さそうです。僕もこのタイプで損しているところとか、自分でイヤだなあと思うところもあるんですが、直そうっていっても直る気配もないので、もうこんなもんかと諦めてます。
    良い方向に伸ばしていけばいいじゃないかと、前向きに(開き直りで)考えてます^^

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