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日経レストランの記事に関する考察。

日経レストランの記事に関する考察。
たいして長い記事ではないので、全文を引用してから始める。

焼き鳥店で水だけを飲むお客
明けましておめでとうございます。編集長の三橋です。
本年も、引き続き「日経レストラン」をご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。
さて、2011年はどんな年になるのでしょうか。国内経済は、緩やかな回復基調をたどるというのが、多くの専門家の見立てです。外食産業も今年の干支のうさぎのように飛躍する年になってほしいと思いますが、この年末、ちょっと“不吉な”光景を見てしまいました。
忘年会のピーク期が終わり、街に落ち着きが戻った12月29日の夜、私は親友と2人で、馴染みの焼き鳥店で飲み食いをしていました。そこに入ってきたのは若いカップル。「お飲み物はいかがなさいますか?」という店員に、カップルの男性の方が「お水を2つください」と答えました。
その後、2人はおつまみ少々と串焼きを数本、そして親子丼を平らげて1時間ほどして店を後にしました。その間に2人が口にしていた飲み物は最初に頼んだ水だけ。店の女将に「水で焼き鳥とは珍しいね」と声をかけると、「最近、多いのよ。(ペットボトルの)水にだって原価はかかっているんだから、あまり気持ちのいいものじゃないわ」との答え。嘆息する女将を「せこい」とはとても思えませんでした。
もちろん、カップルは2人ともお酒が苦手なのかもしれません。でも、その店のメニューブックにはウーロン茶などのソフトドリンクも載っています。
にも関わらず、無料の水だけしか頼まないというのはやはり“違う”と感じました。お客にはお客としての作法があると思います。
女将によると、無料の水や緑茶を頼んで、有料のドリンクを注文しないのは、若いお客だけでなく、年配のお客にもいるそうです。「何とかならないかしら」という女将に、「お水はペリエかティナントになります、と言ってお金を取ったら」と答えましたが、「水道水をくださいと言われるのがオチよ」と女将。確かにそうですね。宿題を抱えたまま年を越してしまいました。

元の記事はこちら
以前に書いた通り、お店とお客の関係は対等である。なぜなら「お店が提供するモノやサービス」と「お客が提供するお金」は等価であるからだ。
これは、床屋と八百屋がお互いに物々交換すると思えばわかりやすい。
床屋が八百屋の頭を刈る代わりに、八百屋は床屋に大根5本とジャガイモを1キロ渡す。お互いに満足であれば、この交換は等価であるということだ。
床屋が頭を刈る代わりに千円を渡してもいいのだが、その場合は床屋は「千円」と「大根5本とジャガイモ1キロ」が等価であり、「八百屋の頭の散髪1回と千円は等価だな」と思っているということである。
この場合、原価がいくらとか、人件費がいくらという計算は必要無い。お互いに「これとこれを交換することは等価だ」と同意して交換している、ということが本質である。
さて、これを踏まえてこの編集長と女将の遭遇した一件を検証してみよう。
当たり前だが、状況が端折られているため、詳しい状況がわからないので、僕の推測が混じっている。見当違いなところもあろうが、文章から一般的に読み取れる状況を想定して考えてみる。
まずこのくだり。

店の女将に「水で焼き鳥とは珍しいね」と声をかけると、

焼き鳥には何なのだろうか。日本酒?焼酎?ビール? ・・・正解は無いだろう。ワインが合うんだという人もいるだろうし、いや焼き鳥にはカクテルが合うんです、という人がいてもおかしくない。しかし、この場合は「焼き鳥と合う飲み物は何か?」という話をしているわけでは無さそうだ。

無料の水だけしか頼まないというのはやはり“違う”と感じました。

何が合うかということではなく、「無料の飲みもの(つまり水)しか頼まない人って珍しいね」と言っているわけだ。そりゃ珍しいだろう、何しろ焼き鳥屋である。一般的に言えば、焼き鳥屋というのはお酒を飲むというところに重点を置いているところである。大抵の場合、価格帯は低めで薄利多売であることが多いだろう。そしてそれをお店側はもちろん、お客だってわかっている。
そんなお店に入って無料の水だけしか(飲み物を)頼まないというのは、編集長は「違う」と感じたわけだ。すなわち、編集長は「焼き鳥屋というのは大抵じゃんじゃん飲んでもらって利益を稼いで、その代わり焼き鳥などのツマミはそこそこ原価がかかっているけど値段はそこそこにして、全体的にお値打ち感を出しているわけだから、このカップルみたいに原価の高いツマミだけを注文して、ドル箱の飲み物を注文しないというのは『違う』でしょう」と感じたわけだ。
さてこのカップルである。何を思ったか腹が減っているときに、年末の夜に数ある料理店をスルーしてこの大衆的な焼き鳥屋に入って、そばに日経レストランの編集長がいることも知らずに水をもらって焼き鳥と親子丼を食べてしまったからさあ大変。

お客にはお客としての作法があると思います。

とバッサリやられてしまった。
・・・え、バッサリやられちゃうの?
ゴハンを食べる場所(主にレストランや食堂、定食屋、ファストフード店など)をスルーしてご飯を食べに焼き鳥屋に来たというだけで、店側としてはかなりうれしいお客であるはずなのである。なにしろ、このカップル、最初に「水ください」と言っている時点で飲む気が全く無いはずなのだが、クリスマスに鳥を食べ損ねたか、食事をする場所に焼き鳥屋をチョイスしている。店にとってみれば「見込み客」では無いわけで、予想外の収入となっただろう。更にうれしいのは、馴染みである編集長が長っ尻しているわけだから店は割と空いていたはずで、その中を1時間ほどで帰っていったというのは行儀が良い客だ。年末のカップル客などというのは黙ってても長居するっていうのが相場だろう。
この、本来なら歓迎されるべきカップルがバッサリとやられたのはナゼなんだろうか。
前後の文脈から、この「作法」というのは、一般的な「飲み屋」という形態なら利益の稼げる「ドリンク(アルコールであるかどうかは問わず)」を注文して、お店に一定の利益を提供する」ということのようだ。ちなみにこのカップル、オツマミを少々と串焼きを数本、親子丼を一杯平らげている。金額としては一人千円では上がるまい。二人で三千円くらい使っているのではないだろうか。しかも滞在時間が1時間ということは回転も「悪くない」のである。数人で飲みにくれば、チューハイに串焼き2本くらいしか注文していない人が一人くらいいるだろう。おなか一杯だが付き合いで来たとか、あんまり気分が乗らないのにラチられたとか、ほかの人の影に隠れて見落としがちだが、全員が全員がぶがぶ飲んでたらふく食べているわけではないのだ。
その点、このカップルは回転率も落とさず(むしろ焼き鳥屋で1時間で出れば回転率を上げる方に寄与しているだろう)、客単価も著しく落としているということも無い。しかし、問題なのは「利益のドル箱であるドリンクを注文していない」というところである。食べ物は飲み物に比べて手間がかかる。同じ値段なら食べ物を提供したほうが人件費もかさんでしまう。つまり、売上には寄与したが利益率を下げている、というところを編集長にバッサリやられたわけだ。
飲食店に限らずだが、売上がどれだけあっても、利益が無ければその商売は続かない。なにしろおまんまにありつけないからだ。社会人なら、売上ではなく利益が大事、ってのはなんとなくわかると思う。
利益のドル箱である「ドリンク」を注文してもらうため、言い換えれば「ドリンクを注文しないで水をもらう客からドリンク代をいただく」ために編集長はこう言っている。

女将に、「お水はペリエかティナントになります、と言ってお金を取ったら」と答えましたが、「水道水をくださいと言われるのがオチよ」と女将。

チャンチャンである。この記事がこの後編集長の独り言めいた締めで終わるわけで、まさにこのくだりがこの話のオチになっているわけだ。
店とは、お客のお金を貰うためにモノやサービスを提供するところである。お客のお金をモノやサービスで買う、と言いかえても良い。
編集長は、お客はお金を払いだす自動販売機だと思っているようだ。一定のモノやサービスを用意して待ち受けていれば期待通りの作法で振舞って(注文して)お金を払ってくれる。そうでない客は「欠陥品」。これは、一方からの見方しかしていない証拠である。
お客は、お店に入って、数あるモノやサービスの中から自分が必要で、しかも納得できる範囲でモノやサービスを貰う代わりにお金を提供する。
「僕達が欲しいのはオツマミと串焼きを数本と親子丼です。それが食べられれば、3000円払います」
お店は、お客が来たら、いっぱいサイフに入っているお金の中から、自分が必要で、しかも納得いく範囲でお金を貰う代わりにモノやサービスを提供する。
「私達が欲しいのは3000円です。それが貰えればお酒を2杯とオツマミと串焼きを数本提供します」
お互いの思惑が違うとこうなるわけだが、それは、お互いの思惑が違っているということに過ぎず、作法がどうとか、セコいとか、気持ちが悪いとか、原価がかかるとか、そういうことではないのだ。
床屋と八百屋ではないが、お互いに等価だと合意して交換できていればいいわけだ。
そもそも形が違うもの(お金とモノやサービス)を交換するわけだから、お互いに交換するには最大公約数的にならざるを得ない。そのために目安としてお品書きがあるわけだ。その目安を元にお客は必要で納得いくものを購入する。逆に言えば店はお品書きを書いておくことでお客のサイフの中身を、必要なだけ、納得いく範囲で狙っていくわけだ。
この元の日経レストランの記事に違和感を覚える部分はどこかと言うと、この編集長の言う「作法論」だろう。お店側からのそんな勝手な作法が通じるなら、お客は「こんな不況で飲みにきてるんだから、お店は会計時に3割は無条件で値引くのが作法だ」と言い張ってもいいかもしれない。
さて、終わりに、この元の記事にもう一つ苦言。
水しか頼まないで焼き鳥屋に来る客というのは本来想定していない客であることは明白である。そんな客が来たことを迷惑がり、水に値段を付けようかという発想が既に暗い。暗すぎる。暗黒である。
狙った層ですらなかなか来てもらえないという状況で、狙っていないのに向こう様から出向いてくれるなんていうのは、臨時収入であり宝くじに当たったみたいなもんである。編集長は「不吉」と言うが、これはむしろおみくじで大吉引いたみたいなもんだろう。そういう客に「次から来ないでくれ」と言わんばかりの、水の有料化など、何を考えているのかわかりません。むしろそういうターゲットがいるのだとわかったら「水でも焼き鳥食べにきて」というキャンペーンでもやったらどうか。同じ利益を上げるために、水を有料化するよりよほど良いと思う。
以下、筆者の推測
※丼モノがあるということで立ち飲み焼き鳥屋ではない
※メニューブックに緑茶があるにもかかわらず、食事にお茶はどうかと言っていないので、お酒に重点を置いた店である
※ペットボトルの水と言っているところでこぢんまりした店
※水で焼き鳥が珍しいのだから、焼き鳥で売っている店でもない
※文脈から、薄利多売、しかも価格帯は低めの大衆焼き鳥屋である


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