GDPは付加価値の合計である
GDPとは何かという話は、よくパンを例えにして説明される。
おっとその前にGDPが何かと言う話だが、グロスドメスティックプロダクト(Gross Domestic Product)の頭文字であり、日本語では国内総生産と言われ、定義としては、一定期間に国内で生産されたモノやサービスの合計金額、ということである。
さてここにジャアパンという国があり、産業は小麦の栽培とパンの製造だけだとする。ここには国民が3人しかおらず、一人は小麦を生産する農家、一人は小麦を製粉する業者、一人はパンを作るパン屋である。ジャアパン国ではこの一年で次のような経済活動が行われた。
農家は、パンを一個作るための小麦を生産した。その小麦を製粉業者に10円で販売した。
製粉業者は、パンを一個つくるための小麦を製粉した。その小麦粉をパン屋に25円で販売した。
パン屋は、パンを一個作った。パンは100円で販売した。
ジャアパン国の国民三人は最終的にパン一個を作っただけなのだが、なぜかこの国はそれで一年が無事終わったとする。みんな衣食住どうしてたんだろうね。ところで、この三人はジャアパン国にいくらの価値をもたらしたのだろうか。
農家「小麦を10円分作ったから、10円をもたらした」
製粉業者「パン屋に25円で小麦をを売ったのだから、25円はもたらしたろう」
パン屋「100円のパンを一個売ったのだから、100円に決まってる」
それぞれの言い分はこうなのだが、この中で正しい認識なのは農家だけだ。小麦は土からにょきっと生えてきて、実をつけた。この際タネとか肥料とかは考えないことにすると無から小麦が生まれたと言って良いだろう。だから、農家は10円の価値を生み出したことは間違いない。次は製粉業者の主張だが、これは少々誤認がある。確かに25円でパン屋に小麦をを売り渡してはいるのだが、実は25円のうち10円は小麦代として農家に支払っているため、製粉業者の儲けは15円でしかない。つまり生まれた価値は15円分ということになる。同じようにパン屋も100円と豪語しているが25円で小麦粉を購入しているため、パン屋は100円のパンを売って75円の価値を生み出したということになる。この余分に生み出した価値を付加価値という。
さて、ここで話を整理すると、農家は0から10円の小麦を売り、10円の価値を生み出した。製粉業者は10円の小麦を買って製粉したことで25円の小麦粉を売り、15円の価値を生み出した。そしてパン屋は25円の小麦粉を購入してパンをつくることで100円で売り、75円の価値を生み出した。言い換えると、100円のパンは、農家の10円、製粉業者の15円、パン屋の75円の付加価値でできているというわけだ。そして、この付加価値の合計をGDPという。次の図を見てもらうとわかりやすいかと思う。
グラフの各要素の左の項との差(小麦農家は左に要素が無いので0との差)が付加価値ということになり、それらを足し算すると最終製品の価格になる。つまり、最終製品の価格そのものが付加価値の合計となり、GDPになるということがわかると思う。よろしいでしょうか。各人が生み出した付加価値の合計=GDP、ということである。
そして大事なことであるが、GDPはよく、その国の豊かさの指標とされることが多い。もしジャアパン国が翌年、小麦の生産が倍になってパンが二つ作れるようになると、GDPは二倍になり、ジャアパン国は豊かさが二倍になったと言える。この場合、農家が畑からの付加価値(つまり小麦)を二倍にしたということである。あるいは、小麦農家が生産量を増加させることができなくても製粉業者が工夫して出来上がりの粉量をを2倍取ることができて、パン屋はパンを二つ作れたとすれば、やっぱりGDPは二倍になる。こちらの場合では、製粉業者が付加価値を二倍にできたということで、どちらの場合にも途中で二倍にすることができたら最終の製品を二倍にできるわけで、どこで二倍にしてもGDPが倍増することになる。これ、パン屋が工夫して同じ量の小麦粉からパンを二個作っても同じことね。GDPとは、途中で付加された価値の合計になるということ。
GDPがナニかわかったところで、コーヒー業界を見てみよう
さてコーヒーはご存じの通り、ほぼ100%輸入に頼っている。生産は海外のため、日本に入ってきたところから話を始める。登場人物は、商社、焙煎屋、カフェの三人である。いったい、日本のコーヒー業界のコーヒー豆にまつわるGDPへの貢献はどのような内訳になっているのだろうか。
1年の期間で割と実情に近いあたりで見てみよう。カフェでは一日にコーヒーで1万円の売り上げがある。コーヒーの単価は500円。20人のお客さんに販売する。これを年間300日の営業でコーヒーの売り上げは300万円となる。一杯のコーヒーには15gのコーヒー豆を使う。すなわち、1年で90kgのコーヒー豆を消費することになる。90kgのコーヒー豆は、45万円で購入している(焙煎屋から5000円/kgで購入している)。このときカフェの生み出したコーヒーに関する付加価値は255万円である。焙煎屋はカフェにコーヒー豆を90kg、45万円で販売したが、コーヒー豆は焙煎で2割ほど目減りするので、113kgの生豆を商社から購入することになる。購入した値段は約17万円(1500円/kgで購入)。従って焙煎屋が生み出した付加価値は28万円となる。商社は28万円で焙煎屋にコーヒーの生豆を販売したが、コーヒー豆を買い付けて日本に持ってきて保管してといろいろ考えると、その値段になってしまうのだ。実は買値はうんと安いのだが、日本に入ってきた時点で1キロあたり1000円になっているのである。日本に入ってきた時点でおよそ11万円。焙煎屋に売った値段は17万円なので、商社が生み出した付加価値は6万円ということになる。
圧倒的にカフェにおいて単位あたりの付加価値が高いことがわかる。
GDPにはサービスの対価も含まれる
なぜこれほど、カフェのコーヒーに付加価値が生まれるかというと、GDPには物の生産だけでなく、サービスも含まれるからだ。※この場合のサービスは「無料で、親切で」というような意味ではなく「サービス業」というような意味合いで使用している用語であると考えてください
カフェではコーヒーに付帯するサービスが非常に大きいので、付加価値が大きくなる。逆に商社ではサービス業の側面があまり無いため、実際にモノを動かした分だけの付加価値になる。商社で「かっこよくオシャレに、一等地で、素敵な音楽をかけながら、センスのいい調度品に囲まれて、wi-fi完備で電源も使い放題の席を用意して、スタッフはにこにこと微笑んで」荷物を動かす必要はないからだ。だから、商社での付加価値の増加は、単位当たりでは小さくなる。そのかわり、単位あたりにかかる手間(あるいはサービスと言い換えてもいい)が小さいため、たくさんの単位を動かすことができる。商社は何百っていう麻袋を詰め込んだコンテナをいくつも動かしているから、単位あたりの付加価値は小さくとも、合計するとたくさんの付加価値を生み出していると考えられる。
話が逸れたが、一杯のコーヒーの付加価値を上げてGDPに貢献しているのは
さあ誰だという話である。
結論から言うと、GDPは付加価値の合計なので、カップにして提供している一杯になるまでのコーヒーを扱ったすべての人が付加価値を積み上げているということになる。そして生産されたものは消費されることになっているので(在庫やら何やら細かいことは無視する)、消費者がGDPを支えていると言ってよいわけである(実際、民間消費、つまり国民の皆さんが個人的にお買い物する消費行動でGDPの過半数を賄っている)。だから、GDP、つまり「みんなで消費しちゃった国内で生産されたものの合計」において一番貢献しているのは国民の皆さんということになる。
これはよく考えると当たり前の話で、国内で生産されたものっていうのはつまり国民が作ったものなわけで、たくさん作れば(つまり売れれば)それだけたくさんのお給料に跳ね返ってくるよね。そして増えた給料でどうするかということになると、一部は貯蓄に回るとしても消費は増加するわけで、結局国民の一人ひとりがたくさん消費していくことでGDPは上がるってことになる。鶏が先か卵が先かみたいな話だが、生産と消費は両輪なので、どっちかだけが上がることは無いので、どっちが先かって言うと、まあ同時にってことになろうかと思う。
そして以下、雑談。
原価を気にされる方へ
よく「〇〇の原価って20円らしいぜ、すげえぼったくりだ」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいますが。見方を変えてみたら、その〇〇が最終生産物、つまりお店で売ってたり提供されるサービスであったりという場合には、そこまでの付加価値の合計がたまたまその価格で、中間生産物、つまりその前段階(もしかしたら前々段階やもっと前の段階の中間生産物)の価格が20円なのかもしれません。つまり、原価を気にされる方は「中間生産物を買っていたら20円だった」ということをおっしゃってるだけに過ぎず、またその中間生産物をその価格で買った場合にそれを「20円だ」と言い張るためにはそれが最終生産物でなければなりませんよ、ということです。
例えば、コンビニの唐揚げの棒に刺さったやつの原価と言われるものが20円だとして、それは冷凍された揚げる前の未調理の唐揚げだった場合には、「20円だ」と言い張るためには冷凍のまんま食べなければなりませんよ(最終生産物)。食べる前に揚げるの禁止です。それが20円で購入できて初めて、20円だということになるわけです。そこまでの付加価値の合計は20円なんですから、それは堂々と20円だとおっしゃってください。
これは何を意味するかというと、モノを買う、サービスの提供を受けるというときに、原価がいくらだということは、実はあんまり意味がなく、消費行動そのもの(つまりものをいくらで買ったか、あるいはサービスをいくらで提供されたか)の値段が大事だってことです。また、企業におかれましては「高品質だけど低価格」みたいなことばっかりやってると、GDPはどんどん下がります。そして消費者におかれましては「コスパがいい」みたいな消費行動ばかりやってると、GDPはどんどん下がります。これ、どっちも中間の付加価値を圧縮してしまうので、最終生産物の値段だけが下がっているように見えますが、実はすべての過程で付加価値が減ってしまい、つまりは「付加価値の合計=GDP=国の豊かさ」という等式からすると、国の豊かさが減ってしまうことになります。
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