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どんなカフェでも「有り」なんだ

カフェにはいろんなスタイルがあるわけで。
ウチはエスプレッソ専門の移動カフェなんだけどね。
ほかにもいろんなカフェがあるでしょ? 和カフェ、雑貨カフェ、ブックカフェ、古民家カフェ、オーガニックカフェ・・・ほんとカフェの数だけスタイルがある的な。
でもどのカフェにも共通することがある。
「お客様が飲食したお代を頂戴するのが商売です」
そりゃそうだと簡単に言うなかれ。お金を頂戴するのは、結構タイヘンだ。
まずたいていの人は、その店を知らない。有名チェーン店でなければ、オープンしたてならなおさら、何年もやっててもなかなか知名度が上がらない。これにはちゃんと理由がある。たいていの人はその店に興味が無いのだ。必要とされてないのだ。その店を知らなくても、ちゃんと生活できているわけだからね。
新聞折込、フリーペーパー、地域情報誌、クーポン誌などに広告を出してみる。それでも、反響はそれほど多くない。1万部発行のクーポン誌に掲載して、クーポンを持ってくるお客さんが1万人いるわけない。クーポンというメリットがあるにしても、なかなかお客さんはその店に興味を持ってくれない。
じゃあインターネットで集客する? いやいや、その地域の何人がインターネットに接続できるか知らないけど(といってもケータイまで含めるとインターネットにアクセスできない人はもうそんなに多くないと思う)、やっぱりそんなにお客さんは来ない。
よし、店頭や周辺にサインだ看板だ、店舗のファサードだ、と言っても、よほどキョロキョロとお目当ての店を探すような人でないと、なかなか目に留まらない。
つまり、その店は日本の人口から考えると、ほとんど知られていないわけ。
知らないのだからその店に行きようがない。つまり、知らない人はお客様候補ですらない。
運良く知ってもらったとしよう。通りすがりに目についた、人から評判を聞いた、クーポン誌を見てたら載ってた、など理由はさまざまだろうけど、とにかく知ってもらった。
知ってる人なら全員お店に来てくれるかというとそうじゃない。
誰でも「あの店に行ったことないなあ」という店がそれこそ山のようにあるだろう。知ってても行ってないわけだ。
なぜ行かないか。理由は簡単。行く必要がないから。
必要がないのだからその店に行くことはない。やっぱり、お客様候補ではない。
かなり幸運にも、その人がその(ような)お店に行く必要があるとしよう。その人は晴れてお客様候補だ!
ではその人はお店に来るだろうか? いやいや余程の田舎で飲食店は一軒きり、という状況でもない限り比較検討が始まるのだ。「いつもこっちのカフェに入っちゃうけど、通りの向かいにもカフェがあるんだよな」というようなこと、よくあるだろう。
何か理由があって、入る店を選んでいるのだ。
お客様候補は、必ずお客様になってくれるとは限らない。
当たり前のことを言っているように思うだろうけど、これ、意外と忘れ去られている話だと思う。
お客様は、来ていただいた時点で相当のハードルを越えてきているのだ。
かなり限られた、そして偶然や運が重なった、奇跡のような確率で、お客様は来ていただいているのだ。
そこで「だからお客様は神様で」などと言うつもりは毛頭ない。残念だが。
何が言いたいかというと、それだけ集客ってタイヘンですよ、ってことである。
さらにお客様は飲み物や食べ物を楽しみ、そして代金を支払うに至って、カフェの目的である「お客様が飲食した代金を頂戴する」を達成できるわけである。
カフェってタイヘンなんだよ。
(あ、カフェに限らずだけど)
さて。これほど集客がタイヘンだとすると、ただ良いコーヒーを並べているからと言っておいそれとお客様が列を成すってことにはならないはずだ。
ではどうするかというと、お客様に来ていただくためのハードルを下げる努力をするわけ。それがマーケティングとか言うことなのかなー。
こんなお客様に来てもらいたいから、こーゆーお店でこんなもの出してます、っていうようなことね。
あるお店は産地との関わりを大事にしたり、あるお店は抽出にこだわってみたり、あるお店は焙煎理論を突き詰めてみたり、あるお店は雰囲気や調度品を外国のカフェっぽくしてみたり、あるお店は手作りのお菓子が専門店顔負けだったり、あるお店は絵画を飾ってみたり。
同じルール(お客様に飲食してもらって代金を頂戴する)の中でアレコレやってるわけ。
だからね、あそこはダメだ、なんてことは無いのよ。
コーヒーが美味しくないからダメだ、焙煎が下手だからダメだ、値段が高いからダメだ、量が少ないからダメだ、バリスタがバイトだからダメだ、紙コップだからダメだ、店が狭いからダメだ、フランチャイズだからダメだ、ラテアートばかり有名でダメだ、店主がウンチクばかりでダメだ・・・
いろんなダメ出しをする人がいるけど、ダメなんてことは無いの。強いてダメな店があるとすれば、あそこのコーヒーは安全じゃないからダメだとか、あそこは採算度外視で市場価格を大幅に下回る価格だからダメだ、とかかな。
普通に営業しているお店なら、それがどんなスタイルであれ、ダメなんてことは無い。
美味しくないコーヒーを出しているとしても、それでお客様から代金を頂戴できていれば、それはそれでこのルールの中では「有り」なんだよね。
個人的には、好き嫌いというのがある。この店は好みだ、あるいはこの店のスタイルは好きではない、ということがある。それはそれでいい。行かなければいい。しかしそういう店に対してダメ出しするのは良くないね。
好きではないスタイルであれば、その店には行かない。それだけでいいんだ。ことさらに「ここが好きじゃない」だの「こーすれば良いのに」だのと言う必要はない。
なんでかと言うと、どこの店でもいくつものタイヘンなハードルを越えて来ていただいているお客様、そういうお客様を含めてその店を否定するのは、天に向かってツバを吐くようなものだからだ。
お店はどこでもあの手この手で自分のお店にフィットするお客様に対してアピールしている。カフェの数だけ、いやそれ以上にお客様のタイプがあるのだから、いろんなスタイルのカフェがあって当然なのだ。そしてすべてのお店にいるお客様は、すべて、いろんな偶然が重なって、いろんな選択肢を慎重に(時には大胆に、かも知れないが)選んでその店にいるんだ。
だから、自分がそこに「いたかも知れない」可能性が大いにある。もしくはそういう店にかつて客としていたことがあるかも知れない。
今はそのチョイスを良しとしない自分がいて、好みに合わないからその店に行かないとしても、自分を含めたすべてのカフェのお客様を否定するようなことを言うべからず、なんだ。
ある特定のスタイルのカフェが好きなんだというのは、ほかのすべてのカフェのスタイルを肯定して初めて言えることなんだよ。
そして、特定のスタイルのカフェが嫌いだなんていうのは、せっせとカフェに行く自分自身を否定していることに他ならないんだよ。


Published in 雑記

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