意味のないことはしない、という主義

ジェームス・ホフマン。言わずと知れた2007ワールドバリスタチャンピオンである。
こんな人である。
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すごく大きくて、ジェントルで、まじめだけど愉快で、ホスピタリティにあふれた人だった。
ものすごくミーハーな話だが、お願いして記念撮影してもらった。
さて、なんでこんな人と一緒に写真を撮っているのかというと、シモネリの新機種、アウレリアⅡのセミナーに参加したからである。
SCAJ2012のトーエイ工業ブースでも少し触ったり、スタッフさんに話を聞いたりしたので予備知識はあったわけだが、セミナーを聞いてなるほどこれは凄いマシンだ、と思った。
僕が気に入った点。
・グループの設定温度への追従がめちゃ早い
・操作感がいい
・お湯の出方の安定感がすごい
旧アウレリアからのアップグレード点はもうそれこそフルモデルチェンジですか?くらいあるわけだが、見た目があまり変わらないので、どうにも損している気がしないでもない。
中身はもう別物である。マルゾッコで言うならFBからストラーダに変わったくらいあるんじゃないか。
さて、セミナーではいろいろアウレリアⅡについて話を聞いたわけだが、詳しいことはここに書くより、気になった人が直接トーエイ工業さんに聞いたほうが早いと思うので端折る。

念のため、トーエイ工業さんの連絡先はこちら(グーグルプレイスが開きます)
※ウェブサイトに電話番号が無かった・・・

で、本題。タイトルに書いた話。
僕は基本的にこのタイトルに書いたような行動原理に基づいて行動している。
何をするにしても、「なんとなく」では行動しないということだ。「これこれこういう理由があるから」やるということだ。「これこれこういう理由があるから」やらないということだ。
すなわち、できるだけ合理的な行動をしようと心がけている。感情や気分で判断すると、行動がブレるが、合理的な行動はブレない。合理的に考えれば、常に同じ行動を取るはずだからだ。
というのは裏をかえせば、そう考えて行動しなければならないほど、僕自身の行動は感情や気分に支配されがちだということの証明でもあるわけだが。
ジェームス・ホフマンとの質疑応答の中で、ものすごく共感できるエピソードがあったので紹介する。
タンピングについて、参加者から「あなたのコーヒーをグラインドしてからタンピングまでの動作には、ならしたり分配したりすることが無く、非常に手順が少なく簡単にやっているように思えるが何故か」という質問があった。
それに対するジェームスの回答が最高だった。
「僕も昔、丁寧に分配して山をならしてタンパーで軽く押し込んでフチを叩いてバスケットの内側にへばりついた粉を落としてもう一度力強く押し込んでツイストして、それでグループにポルタフィルタを装着していたことがあった。しかしその手順は今はもうやっていない。今はただ一度だけ水平に押し込んだら終わりだ。何故か。それは必要ないからだ」
「必要かそうでないかの判断は簡単だ。さっき言ったような面倒くさい手順でエスプレッソを淹れる。そして今やっている簡単な手順でエスプレッソを淹れる。どちらかのカップを二つ、もう一方のカップを一つ。同じものが二つと違うものがひとつの合計三つの中から、ひとつだけ違うカップを選び出す。これを7回か8回繰り返して常にひとつだけ違うカップを取り出せれば、有意な差があるということだ」
「そのときにAB比較テストはだめだ、正確なジャッジが下せない。AB比較テストというのは、AというサンプルとBというサンプルを作り、二つを比べるということだ。確実に違うものを比べるから差が何か考える。考えるのみならず、(本来は無いかもしれない)差を作り出そうとしてしまう恐れがある。テストをするときは三つの中から仲間はずれのひとつを選ぶテストをしなければならない」
ブラボーである。
このジェームスの話の中にはふたつの重要なメッセージが隠れいている。
まず第一に、意味があるかどうかはテストの結果にのみ依存する、ということだ。
例えば、メッシュを少しだけ細かくして抽出する。物理的な条件が変わったわけだからその影響は必ず液体に出る。しかしそれを判別できないとしたらどうだろうか。意味があるのだろうか。目盛りの十分の一だけ回したところ、三つの中からひとつ選ぶテストでは正解を導き出せない。しかし、目盛りの半分回したら、ちゃんと選べることができたとする。この場合、目盛りの十分の一だけ回すことに意味は無いということだ。
第二に、その条件の変更がほかの条件のブレより小さかったら意味を成さない、ということだ。
これも例えを出すと、ポルタフィルタに詰めるコーヒーの量をテストするときに、20gと20.5gで抽出して三つの中からひとつ選ぶテストをして、何回も続けて正確にひとつのカップを選べないとしたら、それは0.5gの差はほかの条件のブレに隠れてしまう程度の差しか生まないということだ。ほかの条件のブレとは、タンピングかも知れないし湯温かも知れない。ポンプの動作のブレかも、抽出時間がほんの少しズレたかも知れない。それらの条件のブレよりも大きい差を生まない限り、テストしたい条件の変更というのは意味を成さないのだ。
そして、この二つのメッセージが伝えることは、「やらなくていいことはどんなに意味がありそうでもやらない、やるべきことはどんなに意味が無さそうでもやる」ということだ。
これは例えを出すまでもなく、理解してもらえると思う。しかし、これがなかなか難しい。なぜなら、やるべきかやらなくていいかはテストをして検証しなければわからないからだ。そしてこの三つの中からひとつ選ぶ方法の検証は意外と面倒臭い。だから、皆「こうしたほうが良い(良さそうな)結果を出せると思うから」「この方法が良いと聞いたから」「こうするほうが理にかなってるから」「こうすれば必然的にこういう結果になるはずだから」「こう教わったから」などと、いろんな理由をつけて、やるべきこととやらなくていいことを検証せずに思い込みや慣れや習慣で流してしまってないだろうか。
ジェームスは、一日に何百杯も淹れるならやらなくていい手順をひとつ減らせれば一日で何百も手順が減るんだ、と言っていた。そして、セミナーの抽出の時にきちんとカップを計量してから抽出し、抽出後のカップの重量を計ることで抽出した液体の重さを計っていた。
そしてそのジェームスの行動はまさに、彼がセミナーの中で力説した、合理的にやるべきことをやりやらずに済むことはやらない、という態度そのものである。


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